誰もが知ってると言っても過言ではないほど有名な絵画「モナ・リザ」。
私がルーブル美術館を訪れた時、この絵を見ようとすると長い列ができていて、厳重に絵が守られているのが驚きでした。絵の前には広めに間隔があり、写真を撮るのにも少し遠く感じるほどでした。
この作品を一目見ようと世界中から人が集まっているのです。
しかし、
「モナ・リザ」
本題にいく前に、軽く「モナ・リザ」の基本情報を見ておきましょう。
謎が深い
この作品は未だにわかってないことが多くあり、謎に包まれた作品だと言われています。その謎の一つを今回は紹介します。
「モナ・リザ」で知られているこの作品ですが、この作品名はレオナルド・ダ・ヴィンチがつけた名前ではなく、ルネサンスの美術史家であるジョルジオ・ヴァサリが
と自身の本に記したことが由来だとされています。
という意味で、当時レオナルドはリザ・デル・ジョコンドという名の女性の肖像画を描いていました。
リザ・デル・ジョコンドは、裕福なフィレンツェの絹商人であるフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻でした。この作品は2人の新居祝い、そして次男アンドレアの誕生を記念に描かれたと考えられています。
断片的な証拠はあるものの、レオナルド自身が書き残した作品づくりの進捗を示す証拠がないため、未だルーブル美術館に置かれた「モナ・リザ」がリザ・デル・ジョコンドを描いていたのかはわかっていません。
あくまで有力な説だと言われているものです。
スフマート技法
「モナ・リザ」は優れたスフマート技法が使われていると言われています。
という意味があります。
この技法は色の境がないように、輪郭を柔らかくぼかす描き方です。
線を描かないようにし、陰影のグラデーションで遠近感をつくることで自然な立体感を生み出しました。
これはレオナルドによって発明されたものであり、
という考えから生まれたものとされています。
このスフマート技法が「モナ・リザ」を美しく見せている要素の一つであり、「モナ・リザ」の微笑を表現できるのはこの技法があってこそのものだと言われています。
知識人による評価
「モナ・リザ」はかつてフランス王のフランソワ1世のコレクションの一部でした。
フランス革命後にルーヴル宮殿は国立博物館となり、そこに展示された最初の作品の1つが「モナ・リザ」でした。
つまり、その時になって初めて「モナ・リザ」が公開されるようになったのです。
その後19世紀半ば頃からフランス人の知識人の間でレオナルドは逸材だと反響を呼び、「モナ・リザ」の評価が高まったとされています。
知識人の高い評価によって、「モナ・リザ」が類を見ない美しい作品として代々言い伝えられてきたと考えられます。
強盗事件
「モナ・リザ」は実はここ100年で有名になったと言われています。
それまではレオナルドの「最後の晩餐」(1498年の作品)が有名だったそうです。
それは1911年に強盗事件が起きたためだとされています。
1911年、観覧に来た人の通報によって「モナ・リザ」が盗まれたことに気づきました。
あまりに突然の出来事でパリ中は大騒ぎだったそうです。
なんと見つかるまで2年もかかりました。
世間では諦めムードが漂い始めていた中、イタリアで盗難品の販売を持ちかけられた商人が通報し、ようやく犯人が見つかったのです。
これだけの騒ぎによって、必然的に美術作品に興味のない人たちも皆「モナ・リザ」の存在を知ることとなり、作品の素晴らしさにも同時に気づいたんでしょうね。
事件後、「モナ・リザ」の警備は厳しくなり、今では防弾ガラスで囲まれるほどになりました。
まとめ
「モナ・リザ」が有名になった理由として
- 謎が深い
- スフマート技法
- 知識人による評価
- 強盗事件
を紹介しました。
このような要因が重なったことで、「モナ・リザ」が他の作品と比較しても特に有名な作品の一つとなったのではないでしょうか。
皆さんも是非この背景を思い出しながら「モナ・リザ」肌で感じてみてください☆
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